幸福だけがある世界にトリップ 『すばらしい新世界』を読んだよ
手に入らないものほど欲しくなる、って言うけど、なんで手に入らないものって欲しくなっちゃうのだろう。
その際たるものが時間じゃないでしょうか。主観ですが。で、時間の手に入れ方には、「戻る派」と「進む派」がいて、僕は断然「進む派」です。できるなら、1万年後くらいまで見ておきたい派。
といっても、人生1万年時代かのように、しっかり太く1万年の人生を謳歌したいなんて贅沢は言わない。極細でいいからピューっと1万年後まで流し見しるだけでいい。でもそれも不可能なので、SF小説を読むわけです。
noteでは昨年に続き、読書の秋企画を絶賛開催中です。
社内でも「読書の秋note書いてみよう」企画が立ち上がっていて、便乗させてもらうことにしました。並木さん、ありがとうございます!
わたしはこちらを読みました。
2、3年前に読んで最高に好きだなと思ったんだけど、再読してみたらやっぱり最高におもしろかった。
本との出会い
著者のオルダス・ハクスリーの存在は、学生時代に『知覚の扉』で知りました。The Doorsのバンド名の由来になった本です。卒論テーマが1960年代アメリカ文化だったので、ヒッピーやらウッドストックやらLSDやらを調べていて行き当たったんだと思います。
本の内容はほとんど覚えていないけど、ハクスリー自身を含むいろんな人が幻覚剤を使って精神の拡張を試みる実験記録、みたいな感じだった気がする(その時使ったのがサボテン由来の幻覚剤メスカリン )。実際、『知覚の扉』は60年代サイケデリックブームのよりどころであったらしい。
書店で『すばらしい新世界』を買ったときは衝動買いでした。多分、この新訳版が刊行されたころだったので、書店でも目立つ場所に置かれていたのかもしれない。著者名を見て、学生時代からの縁を勝手に感じたのと、帯コメントにも惹かれたんだと思います。
学生時代の間違った先入観で、ハクスリーについては常時クスリでトリップしっぱなしのアングラ界の教祖というイメージだったから、王道人気小説家がコメントを書いているというギャップがすごく新鮮だったのを覚えている。
それにしてもこのコメント、完璧に言い得て妙。。。死ぬほど僭越ながら、さすがすぎる。「悪夢」の世界が描かれているのに、「うっかり楽しい気持ち」になる。そんな物語なのです。
すばらしい新世界
SF小説は、どれも現実の歴史、文化、地政学、物理法則にもとづいて、この世界と地続きであるような可能世界を描いている、多分。そういう、いかにも現実に存在しそうな世界が、緻密に作りあげられてる感じが好きなんだと思う。
『すばらしい新世界』で描かれるのは、現実の社会制度や価値観と比べると完全に倒錯したおかしな世界なんだけど、細部まで徹底的に倒錯しているから、不思議と物語の中では筋の通った世界像がつくられている。しかも、現実世界の延長線上であることも感じられる。
舞台は西暦でいうと2500年代。ただ、西暦は使われていない。T型フォードが発売された1908年を元年とするフォード紀元が採用され、ヘンリー・フォードが神格化されているというぶっ飛んだ設定。真面目なのかふざけてるのか分からない感じが微笑ましいです。1930年代に書かれた小説なので、当時のフォード社はディストピアの到来を予感させるくらい影響力が大きかったのかなぁ。
概要は、wikiで素晴らしく簡潔にまとまっています。
この新世界では、消費は善で節約は悪、不貞は善で貞節は悪。「父」「母」「家族」といった言葉は猥褻語とされ、人前で口にするのは完全に非常識。宗教や芸術が排除され、自然科学は必要以上に発展しないよう管理される。世界共通の価値基準は、共生、個性、安定。節約・貞節・家族は個人の願望を抑圧するという点で、宗教・芸術・科学は価値基準への疑念を生むという点で、いずれも安定を脅かす悪徳とみなされる。
人々は、人間生産工場とでも言えそうな「中央ロンドン孵化・条件づけセンター」で孵化る。受精卵のころから多種多様な処置(「条件付け」と呼ばれる)を施されて社会階級が決まり、孵化後は、睡眠学習によって徹底的に上述の規範を刷り込まれながら成長する。
ついでに言うと、医学の進歩によって老いや病もない。誰もが青年期の容姿と体力を維持したまま年を取り、死の直前まで精力的な人生を送る。(ある年齢で急速に死を迎える)
かくして、人々は抑圧や疑念や恐怖から生まれる強い感情から開放されて、常に安定した幸福状態を維持している。それでも気分が落ちることがあれば、無償で配布される「ソーマ」(副作用なしのパーフェクトドラッグ)で、瞬時にハッピーになれる。そんな世界。
物語冒頭に出てくる登場人物の発言が、端的にこの世界を表現していて好きです。狂気を感じます。
求めるものが即座に手に入る(条件付けにより、手に入らないものは求めない)、そんな世界です。
幸福について
そんな世界で、喜劇のような悲劇(その逆?)が展開されます。面白そうかも、と思われた方はご一読ください。
最後に、僕が一番気に入っている物語後半の場面から引用します。斬新なことを言ってるわけじゃないけれど、みんな薄々わかっていることを再認識させてくれる一節です。
つまり、幸福と退屈は、ほとんど同義なのでは?ということ。そう言われると否定できない自分がいる。けれど僕は、退屈ではなく幸福がほしい。
でも、ネガティブな感情をどこまでも排除し、社会システムから際限なく幸福が提供されつづける「しあわせ漬け」の世界は不気味だった。
自分の意思や行動の結果として、内面から生まれてきて、退屈する前にいつの間にか消えている。そういう幸福がいいな。幸福が尊くあるために、葛藤も闘争も困難も悲運も、大事なんだなぁ〜。という小学生のような感想を述べて終わりにします。
ある登場人物が「わたしは不幸になる権利を要求する」という印象的な発言をしているのだけど、それは、この「新世界」でもっとも手に入りにくいものでした。
やっぱり手に入らないものって欲しくなるんだな。1万年生きたい。